始業式が行われました

令和4年4月7日、第1学期始業式が行われました。

 

令和4年度 1学期始業式 校長講話 

皆さん、おはようございます。
3学期の修了式から、さほど時間は経過していませんが、この春休みにリフレッシュして、新しい目標は設定できたでしょうか?
前回、折々の節目は大事だと言いましたが、仏教に「*無始無終」という考え方があって、文字通り終わったと思っても、もう始まっているという、言葉で説明するのは難しいのですが、学校でいえば3学期が終わったら、それは実質的には新学期の始まりで、高校を終えたと思っても、それは新しい出発点に立つことなのだ、という感じでしょうか。
要するに切れ目などないということです。考えてみれば当然で、「新しい門出」とか「第二の人生」とか、便宜上言っているだけで、人生は切れ目のない連続なのです。
過去は変えられないし、未来は分かりません。ただ確実なのは今がある、ということです。
毎日、毎日、学校に来る、そうすると1年間皆勤できます。高校生活は3年間ありますが、これも一度に3年あるわけではなく、毎日毎日を積み重ねていって3年になるわけです。
今、世界は混迷を極めています。
昨年の始業式で、3年生(当時の2年生)には、
「誰か凄い人が世の中のことを全部決めてくれて、その通りやっている方がうまくいく、というのは多分ウソです。特定のリーダーに期待して、その人が世の中を変えてくれるというのは、(これを「カリスマモデル」といいますが)、何か違うような気がします」
という、話をしました。
今、たった一人の人間が世界の秩序を破壊できるほど、世界は狭くなっています。
我々に出来ることは限られていますが、やっていいことと悪いことを「自分の頭で」正しく考えられることが基本になるのだと思います。
特に3年生は本年度中に18歳を迎え、成人の仲間入りをします。2年生にも、次の1年を見据えてほしい。
その意味でも、人に言われたままに行動するのではなく、自分で考えて行動できる人になってもらいたいと思います。
皆さんには、常に自主的であろうと心掛け、一日一日を大切に過ごしてもらいたいと願っています。

 

*無始無終‐始まりもなければ、終わりもない、という意味。目標に向かって頑張り、目標に到達をする。その時に、そこで安心してはいけないという戒めの言葉でもある。終わったということは、また新しい出発点に立っているということ。

 

令和4年4月7日

学校法人上野塾
東京高等学校長  鈴木 徹